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薬 井 〔薬井〕 社会教育・文化財のページへ
弘法大師ゆかりの井戸
 昔、眼をわずらっている人が、弘法大師の教えに従ってその場所を掘ると、眼の病気によく効く水がどんどんわき出したそうです。
 井戸のかたすみに「薬井ノ水」と刻まれた古い石碑が立っています。
 水は今もわき出ています。

←薬井戸

佐味田宝塚古墳 〔国指定史跡・佐味田〕
「家屋文鏡」で有名な前方後円墳
 町内最古の前方後円墳。 4世紀後半に造られました。馬見丘陵の中央部に位置する尾根上に造られ、全長112m。周囲には濠がなく、墳丘には鰭付(ひれつき)円筒埴輪が巡らされています。
 明治14年に「神人車馬獣画像鏡」や「家屋文鏡」などの36面もの銅鏡をはじめとして、約140点もの副葬品が出土したことで全国的に注目されました。なかでも、鏡背面に4棟の建物(竪穴式住居、高床倉庫、高殿、平地式建物)をあしらった「家屋文鏡」は特に有名です。

←神人車馬獣画像鏡
     (東京国立博物館蔵・重要文化財)
  家屋文鏡 [部分] (宮内庁蔵)→

ナガレ山古墳 〔国指定史跡・佐味田〕
1600年前と現在の姿を復元・保存
 約1600年前、5世紀初頭の築造と見られ、自然の地形を最大限に利用して造られた全長105mの前方後円墳です。
 東側半分は葺石と埴輪列を復元し、西側半分は芝生を張り、1600年前の当初の姿と現在の姿を同時に見ることができる、全国でも珍しい古墳です。

乙女山古墳 〔国指定史跡・佐味田〕
代表的な帆立貝形古墳
 5世紀前半に造られた乙女山古墳は、平面形が帆立貝に似ていることから帆立貝形古墳の典型として有名です。
 墳丘の全長は131mで、帆立貝形古墳としてはわが国最大級の規模を誇ります。
 墳丘の周囲には水田や溜池として周濠が残り、周濠の外側には外堤が残っています。

民家の門 〔佐味田〕  −−−昔の船材をいかした門−−−
川と船にちなんだ歴史の面影
 佐味田のある民家の門には、昔、大和川の水運に使用されていた船の木材が使われています。川の水にさらされて凸凹が目立ち、節目には割れ止めが埋め込まれています。
 河合町らしい川にちなんだ歴史が、こんなところにもいきているのです。

シガゾウ化石 [門歯]
ぶどう山で発見された県内唯一の大型動物化石
 馬見丘陵は奈良県下で大型動物化石が出土した唯一の地です。大型動物化石を含んだ地層は、今から約140〜130万年前に堆積したものと推定されています。
 大正15年(1926年)、狩又池西側でシガゾウの門歯が発見されました。昭和62年(1986年)に奈良県の天然記念物に指定。

シガゾウ門歯化石(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵)

宮堂遺跡 (川合)
縄文時代・古墳時代以降の集落跡
 大塚山古墳の東側に広がり、周囲より一段高くなっているところに位置します。河川の合流点に近い微高地は、食料や水の確保がしやすかったのでしょう。
 約2300年前の縄文時代晩期の縄文土器や多数の石器と、石器をつくる際にでる石の屑なども出土。集落が営まれていたことがわかりました。石器は二上山付近で採れるサヌカイトで作られています。古墳時代後期から飛鳥時代にかけての竪穴式住居跡も確認されています。
 大塚山古墳を造った人々が生活していた集落があると思われ、埴輪や鉄製品を作る工房もあったようです。
←出土遺物の土器


大塚山古墳群 (国指定史跡 川合・穴闇・西穴闇)
 河合町の北東部は、大和川に多くの支流が合流するところで、奈良盆地内で最も低い平地です。この平地に、現在八基の古墳が残っており、分布状況や群構成から非常にまとまった古墳群として重視され、昭和31年12月28日に一括で国指定史跡に指定されました。
 大塚山古墳群を造った人びとがどのような人びとであったかは不明ですが、5世紀後半代に大和川水運を掌握し、政権中枢に深く係わってきた人びとだろうと考えられます。

大塚山古墳
 五世紀後半に築造された三段築成の前方後円墳で、墳丘全長は約197mを測り、同時期では、奈良盆地内で最大級の古墳です。 墳丘の周囲には、周濠の痕跡が水田として残っていますが、最近の調査で、さらに外側に周堤・外周溝・外堤が巡る壮大な姿であったことがわかってきました。
 廣瀬神社に伝わる『和州廣瀬郡廣瀬大明神之圖』(16世紀以前の作)では「王塚山」の名で描かれ、明治3年の川合村絵図には、「王墓山」と記されています。
城山古墳
 大塚山古墳群の中で最後に造られたと考えられる古墳で、5世紀末から6世紀初頭の築造と考えられます。 墳丘全長109mを測り、大塚山古墳同様、同時期では奈良盆地内で最大級の前方後円墳です。
 城山古墳はその名のとおり中世には城砦として利用されたようです。
中良塚古墳 (高山塚一号古墳)
 大塚山古墳の北西に位置する墳丘全長約88mの前方後円墳です。 「中良塚」(なからづか)の名は「穴闇の塚」を意味する「ナグラヅカ」がなまったものでしょう。
高山二号墳(高山塚二号古墳) 
 中良塚古墳の西隣りにある円墳で、周辺部の発掘調査の結果、元は直径35m程度の古墳であったと思われます。
 周濠部からは人物埴輪や動物埴輪の一部が出土しています。
高山三号墳(高山塚三号古墳) 
 本来は直径30m程度の円墳であったと思われます。
 周濠部から滑石製勾玉(かっせきせいまがたま)が出土しています。
高山四号墳(高山塚四号古墳)
 現状では、東西18m、南北12m程度の古墳ですが、少なくとも直径20mを超える円墳と推定されます。 
丸山古墳
 大塚山古墳の北側にある直径48mの大型円墳です。明治26年の『大和国古墳墓取調書」には周濠が巡る状況が描かれています。
九僧塚古墳 
 大塚山古墳の西側にある二段築成の方墳で、本来は一辺約35m程度の古墳であったと思われます。
 周辺の発掘調査の結果、大塚山古墳の外周溝に接して計画的に配置されていることが明らかとなりました。




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