かわいふるさとかるた
かわいふるさとかるたの紹介
かわいふるさとかるたは、河合町内にまつわるお話やスポットをもとに作成されました。
絵札の作者は河合町出身のイラストレーター・中田弘司さんです。
絵/中田弘司
河合町出身、創造社デザイン専門学校卒業。
制作事務所に勤務しグラフィックデザイナーを経て、1989年よりICONとして活動、フリーランスのイラストレーターに。絵本をはじめ、壁画、幼児服、雑誌、広告等を制作。イラストに合わせて絵本や町歩きの文章も作成。2019年「第4回心の絵本大賞」にて佳作。
現在、絵本の講師を務める。

いくつ集められるかな
史跡や古墳を巡って
御墳印
河合町発の『御墳印帖』プロジェクト☆
古墳・神社・仏像など、河合町だけでも20種類、ほっかつの印も仲間入り。
さぁみんなで古墳&史跡巡りへLET’S GO!

炉を囲み
バーベキューも
楽しめる
ほのぼの公園
河合町のみなさーん、バーベキューやデイキャンプ、その他のイベントに利用できます。
届け出は忘れないでね。

はんぶんこ
今と昔の
ナガレ山古墳
馬見丘陵公園内に位置するナガレ山古墳は、全長約105mの前方後円墳です。
古墳頂上からは葺石(ふきいし)と埴輪(はにわ)が並んだ当時の姿と、芝生状の現在の姿を一望することができます。左右非対称の復元方法だけではなく、カルタの絵の左側に描かれている墳頂へのぼるための“登り口”があることも全国的に珍しく、興味深い古墳です。

にぎやかな
声と笑顔の
赤田池公園
大きな池と広い敷地、すべり台つきの大きな遊具もあり、のびのび遊べる公園です。
親子で楽しむのにもぴったり!ぜひ遊びに来てね♪

盆踊り
絆の輪になる
ふるさと祭り
毎年8月11日(祝)にふるさと祭りが開催されます!盆踊りや花火もあるので、お楽しみに!

平安時代に作られた
仏像もある
定林寺
廣瀬神社の西側に位置する定林寺は、江戸時代初期の建物で、その内部には多くの仏像が安置されています。そのうち4体の仏像(地蔵菩薩立像、十一面観音立像、阿弥陀如来坐像、不動明王立像)は、平安時代前期・中期・後期、室町時代に作られたことがわかっており、町指定文化財に指定されました。

どこにあったか
見つけてみたい
川合城
大塚山古墳群で最後に造られた古墳「城山古墳」。中世に砦(川合城)として利用され、墳丘は変形していますが、三段築成と推測されています。歴史的文献には城山古墳が川合城だと記載されていることが多いですが、大塚山古墳も川合城に充てられていることもあります。いったいどこが川合城だったのか…?今後の調査が待たれます。

長林寺
建てたの
聖徳太子らしい
推古24年に推古天皇の病気平癒を祈願して、 聖徳太子が建立したと伝えられています。 創建以来、衰退と復興を繰り返して江戸時代に現在の形になりました。

里道咲く
あざみの献上
大和国広瀬郡
ちょっとした雑学♪
奈良時代の税制度「租庸調」の調の一つとして、アザミが納められていたんだって!実はアザミの根は「和続段」と呼ばれ、神経痛や利尿、健胃の民間薬として使われているんだ!大塚山古墳の里道では今もアザミが咲いてるよ♪

沼地の龍神去った一夜で
水の鎮守の
廣瀬大社
水の神様を祀る神社で、「日本書紀」の天武天皇4年(675年)に、天武天皇が命じて祀らせたと記されています。675年以降、戦国時代に途絶えるまで、毎年4月と7月に国を挙げての盛大な祭り「大忌祭(おおいみのまつり)」が行われており、この祭りの一部が「砂かけ祭」として現在にも伝わっています。

るんるんるん
さんぽで出会う
小鳥さん
町内では1年を通してさまざまな野鳥を見ることができます。特に、秋から冬にかけては野鳥観察のベストシーズンです!町のインスタグラムでも紹介している季節の渡り鳥たちなどを探しに出かけてみませんか♪

をかし
古人も心惹かれる
河合町の歴史
廣瀬大社や大塚山古墳群は、法隆寺や龍田大社の対岸に位置します。大和川を上ってきた魚梁船(やなふね)が、川が集まる浅くて広い広瀬の川合浜で一旦積荷をおろし、様々な物資を運搬していた光景が、人と人との出会いと共に古代から昭和初期まで連綿と続いていました。万葉集にある廣瀬の歌もその出会いを彷彿とさせます。

和歌山すさみ産が
大人気
毎年行きたい産直市
例年多くの家族連れでにぎわう産直市。和歌山県すさみ町の海産物の販売や、フリーマーケット、お楽しみ抽選会など家族で楽しめる内容が盛りだくさんです。ぜひ遊びに来てくださいね♪

河合町
みんな大好き
すな丸くん
人が大勢いるところが大好きな、人懐っこくみんなに大人気の精霊です。
頭についている牛のお面をタッチするとハッピーになれるかも!? 見つけたらぜひタッチしてみてね!

よだれかけ
安産御礼
穴地蔵
穴地蔵は池部の天神社の南東側に位置しています。石屋の中には、江戸時代の作とされる地蔵をはじめ小石仏6体以上が安置されており、安産に霊験があると伝わっています。天理王寺線の道路工事に伴い現在の地に移されました。

太古の
河合に
シガゾウが?!
大正15年(1926)、穴闇西山のブドウ畑を開墾中に、現在の旧河合第三小学校の南側付近で130~140万年前のものと推定される158cmのシガゾウ(旧ゾウ)の門歯(象牙)が発見されました。町内では他に5ヵ所から大型動物の化石が出土しています。

歴史ある
街並み残る
川合の市場
多くの物資や人が行き交う御幸瀬(ごごかせ)の南側では、市が立ち並び、大いに賑わったことから「市場」と呼ばれるようになりました。現在でも残る古い街道沿いには、水運で栄えた当時の面影が残っています。

育てる楽しさ
手づくり野菜は
ほのぼの農園で
野菜や花の栽培、家庭菜園に興味がある方にぜひ知ってほしい!家族ぐるみで土に親しみ、緑と自然に触れられるレクリエーションの場として、町では「ほのぼの農園」を開設しています!くわしくはホームページを確認してね♪

ツクモ芋
大輪田でとれた
名産品
大輪田で作られていたツクモ芋は、今のヤマト芋・マ芋のことを言い、そのおいしさから「大輪田の芋」と呼ばれ近隣にも知られた特産品でした。
ほかにもさつまいもやイチゴなどを栽培し、大和川舟運によって大阪の市場へと出荷されていました。

年間を通して
楽しめる
菖蒲と大噴水の
中山田池公園
いろとりどりの花が咲き、大噴水もあり、いつでも楽しめる公園です。

穴闇の地
由来は
長倉寺の瓦にあり
穴闇に所在する長林寺は、聖徳太子建立と伝えられています。周辺には、金堂基壇や礎石など、古代の遺構が残っています。「長倉寺瓦」と文字の彫られた瓦が出土したことにより、古くは長倉寺とも呼ばれていたことが分かりました。穴闇という地名は「長倉」の転訛と考えられています。

ライオンの
阿吽が守る
役場門
役場らしからぬ古風で明媚な門に、驚いた方は多いのではないのでしょうか。
阿吽の金剛力士像のように役場の入り口を守るのは二頭の雄々しい“ライオン”の浮彫。彫られた往時の勇ましさが今に伝わっています。
カルタの絵にも描かれている阿形像のライオン像横には「大正十二年」と銘が彫られており、この門を含む旧豆山荘の建築年代がわかります。

昔のいわれ
天武天皇が渡った記念の
御幸橋
飛鳥時代に天武天皇が広瀬大社と龍田大社へ行幸した際に大和川に橋を渡した旧跡を「行幸(みゆき)ノ瀬」といったと古い書物に記されています。また、奈良時代に元明天皇が廣瀬大社に行幸した際の板橋を御幸橋と呼ぶようになったとも伝えられています。

海がないのに
帆立貝型
乙女山古墳
馬見丘陵公園内にある乙女山古墳。後円部には別に造り出しがあり、家形埴輪などが出土しています。

登れる!
学べる!
里山の大塚山古墳
5世紀後半築造の前方後円墳。墳長197m、同時期では奈良盆地内で最大級の古墳です。遺物は円筒埴輪や朝顔形埴輪、盾形埴輪などの器材埴輪、土師器(はじき)などがあります。そのなかには船が三隻描かれた円筒埴輪も出土しています。
また、自由に登ることができ、昔から里山としても地域の人々に親しまれています。夏の暑い時期はマムシに注意が必要です。

大輪田氏
伝説残る
五輪塔
中世の豪族大輪田氏のお墓と伝えられています。元から現在の場所にあったのではなく、集落の近くから移築されたものとも。

薬の井
目に効く水と
弘法大師
薬井の地名になった、石の井筒を施した掘り抜き井戸。むかし、この地に行脚でやってきた弘法大師が掘ったと伝えられている井戸で、眼の病気にもよく効く薬水とも言い伝えがあります。

魚梁船(やなぶね)
荷を載せ行き交う
川合浜
大和川水運が盛んだった頃、現在の御幸橋より東側に渡しがありました。この船着場は「川合浜」とも呼ばれ、水運の中継地として栄えました。近世、川合浜など奈良盆地内の船着場と亀の瀬の間で、荷物の運搬に魚梁船は使われていました。魚梁船は長さ約15.3m、幅約1.5mで剣のように細長い形をしており、米や綿・肥料などを運搬していました。

マーシャル諸島
河合町と
姉妹都市
河合町と姉妹都市のマジュロ市は、南太平洋のマーシャル諸島共和国の首都です。
町地場産業の貝ボタンである材料、タカセ貝やコクチョウ貝を同国から輸入していて、明治以来100年の歴史があることから、昭和60年2月6日、姉妹都市提携が結ばれました。
マジュロ市は小さな島々が輪の形になった29の環礁と、いくつかの島からなるマジュロ環礁にあります。

元気っ子
すくすく育つ
かがやきの森
河合町にある認定こども園かがやきの森。毎日こどもたちの元気な声が聞こえています。

ぶどう園
始まったのは
大正時代
ぶどうは「古事記」で最初に記述がある、歴史のある果物です。町内のぶどう農園は、町の本格的な開拓事業とともに、大正期に始まりました。現在では、20種類以上のぶどうが栽培されています。

古墳と
四季折々の花が
迎えてくれる
馬見丘陵公園
お散歩やサイクリングロードでサイクリングを楽しめる馬見丘陵公園では、さまざまなイベントを実施しています。

円筒埴輪や
鉄製品
間近で見られる
文化財展示室
中央公民館旧館3階にある文化財展示室では、町内の遺跡から出土した遺物を展示しています。製作時期の違いによる特徴など面白い発見があるかも?!ぜひ見学に来てくださいね☆(見学は予約制です)

邸宅を
使った役場は
豆山荘
豆山荘は、大正12年(1923)に実業家である森本千吉の邸宅として建てられました。のちに河合村(当時)役場となり、河合町が発足すると新庁舎建設のために一部取り壊されました。現在は主屋と洋風な内装の離れ、棟門と阿吽のライオンの浮彫などが残っています。

愛がある
私たちのふるさと
河合町
KAWAIの中には愛がある💛
河合町は、豊かな自然と生活に必要な道路や交通機関などが整った愛のある町です。

さあ見えた!
蓮如上人喜んだ
世は戦国時代、本願寺中興の祖である蓮如上人が佐味田の地を訪れた際に「さあ、見えた」と言ったことで佐味田の名がついたとされています。喜んだ上人は、たもとへ入れて持参した杉の苗を植えたり、また、村人にミノ作りを教えたという伝説があります。

旧石器
ナイフ石器見つかる
フジ山遺跡
15,000~10,000年前の後期旧石器時代の遺跡である「フジ山遺跡」。ナイフ形石器や、石器をつくるための剥片(はくへん)などが発見されており、この頃にはすでに河合町域で人々の生活が営まれていたことがわかります。

唯一の
家屋文鏡出た
宝塚古墳
佐味田宝塚古墳は、全長約112m、後円部直径約60m、前方部幅約45m、4世紀後半に築造された町内最古の前方後円墳の一つです。明治14年(1881年)に家屋文鏡を含む36面の銅鏡の出土で有名なほか、玉類、鉄刀、形象埴輪など多数の遺物が出土しています。

珍しい
埴輪に3艘の船の絵
大塚山古墳
5世紀後半築造の前方後円墳。墳長約197mで同時期では奈良盆地内で最大級の大きさを誇ります。数ある出土品の中で珍しいものは3艘の船の絵が描かれた円筒埴輪です。通常は1艘のみ描かれる例が多い中、2段にもわたって船の絵が描かれており、未発見の上方にも描かれていた可能性があります。かつての大和川水運を象徴する船団を描いて、大塚山古墳に並べたのでしょうか。

みんなで憩う・集う・遊ぶ
楽しさあふれる
豆山の郷
カフェ豆山でおいしいコーヒーを味わいながらほっと一息。
サークル活動で仲間と楽しいひと時を過ごしたり。
みんなでほのぼのとした時間の流れる「河合のいえ」へ遊びに来てね♪

“幸せを招く”が
花言葉
福寿草は町の花
暖かい春の訪れを知らせるように花を咲かせ、周囲をパッと明るくしてくれる福寿草。
旧暦の正月(2月)頃に咲き出すことから、「元日草」や「朔日草(ついたちそう)」という別名もあります。

“ひたむきさ”
が花言葉
山茶花は町の木
秋が深まり、冬の訪れを感じるころに咲く山茶花。ほかの草花があまり咲かない寒い季節にも赤やピンク、白などの可憐な花を咲かせます。馬見丘陵公園では11月上旬から2月下旬頃まで楽しむことができますので、ぜひご覧ください♪

燃え上れ
無病息災
とんどの火
新年が明けた1月にお正月飾りや注連縄(しめなわ)、縁起物などをお焚き上げする「とんど」。高く組まれた櫓に火が放たれ、高さ数メートルの大迫力の大きな火柱が立ちます。1年の無病息災を祈願して行われる「とんど祭」です。

せっせせっせと副業で
ちまき包んだ
かしわの葉
「こどもの日」に、こどもが元気で健やかに成長することを願って食べられる「柏餅」や「ちまき」。柏餅は関東、ちまきは関西で食べられることが多いようです。地域によって砂糖が使われていないものや、中にあんこの入ったものなどもあるようなので、地域による味の違いを楽しんでみるのも良いかもしれません。

砂かけて
五穀豊穣
砂かけ祭
廣瀬大社で毎年2月11日に、午前に殿上の儀、午後に庭上の儀の二部に分かれて開催されています。五穀豊穣を祈願するお祭りで、砂を激しくかけあうほど雨が降り豊作になるとされています。大和の奇祭としても有名です。

ん!うまい
大和の黒豆
河合ブラック
河合町特産大和の黒豆“KAWAI BLACK”。うま味がギュッとつまった、とにかく味の濃い大粒の黒豆です♪
この記事に関するお問い合わせ先
観光振興課
〒636-0053
奈良県北葛城郡河合町池部1丁目1番1号
電話:0745-57-0200
ファックス:0745-56-4002
メール:kankou@town.kawai.nara.jp
更新日:2025年02月28日