文化財等

更新日:2024年03月07日

御幸瀬ノ渡跡

御幸ケ瀬川合浜
城山古墳の北側に位置する一辺約40mの規模で周囲に濠を巡らせた中世環濠館跡。戦国時代の吉田山城主義辰の館であったとされ、発掘調査で中国や韓国の陶磁器の破片が多く出土し、はるか西方の国々と結びつく水上交通の要衝であったことが分かります。市場垣内遺跡は日常生活の場として、近接する城山古墳は戦時の際の砦であったと考えられています。

市場のまちなみ

市場
大阪湾と奈良盆地を結ぶ重要な交通路であった大和川沿いには、御幸ヶ瀬と呼ばれる船着き場(現在の御幸橋付近)がありました。多くの物資や人が行き交う御幸ヶ瀬の南側では、市が立ち並び、大いに賑わったことから「市場」と呼ばれるようになりました。現在でも残る古い街道沿いには水運で栄えた当時の面影が残っています。

廣瀬神社

廣瀬神社鳥居

創建年代は不明ですが、『日本書紀』の天武天皇4 年(675)の条に「大忌神を廣瀬の河曲に祀らしむ」とあり、龍田の風神と共に国家的な神事が営まれていました。『河相縁起』では崇神天皇の時代に創建されたと伝えられ、7世紀以前にも何らかの信仰があったようです。祭神は若宇加能売命で、水の神・五穀豊穣の神として広く信仰されています。現在の本殿は、江戸時代の中頃の正徳元年(1711)の造営で、一間社春日造の様式をよく伝えるものとして、昭和63年3月22日、奈良県指定文化財(建造物)に指定されています。毎年2月11日に行われる砂かけ祭は、雨に見立てた砂をかけ合い五穀豊穣を祈願する大和の奇祭のひとつとして有名な祭りで、平成21年12月11日に河合町無形民俗文化財に指定されました。

砂かけ祭り

豊穣を祈る大和の奇祭「砂かけ祭」(御田植祭、廣瀬神社)

豊かな実りと雨水を祈願する祭り。殿上の儀と庭上の儀の二部構成で、拝殿前に仮の田圃を作り参拝者と田人・牛役が雨粒に見立てた砂をかけ合うと庭上の儀は、砂を盛んにかけるほどの雨が降るとのいわれから、子どもたちも参加して激しく砂をかけ合う奇祭です。河合町指定無形民俗文化財に指定されています。

シカゾウの化石

今から130~140万年前のものと推定される長さ158センチメートル の旧ゾウの門歯(象牙)。大正15年(1926)2月10 日、穴闇西山のブドウ畑を開墾中に、旧河合第三小学校の南側付近で見つかりました。ほかにも河合町で5箇所、となりの上牧町では2箇所から大型動物の化石が出土しています。

(昭和61年3月18日、県指定天然記念物 県立橿原考古学研究所附属博物館保管)

シカゾウの化石

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